院長ブログ

2022.07.06

無意識の時間

鬼滅の刃「無限列車編」では鬼の魘夢(えんむ)が敵の主役だ。
魘夢の血鬼術は夢を見させて、現実逃避させているときに精神の核を壊す。というものだ。
「人間の原動力は心だ精神だ。”精神の核”を破壊すればいいんだよ。そうすれば生きるしかばねだ」
私も行動の源、心の主導権は”無意識”にあると思う。
でも、魘夢とは違って、”1つの核”、というよりは無数のプロセスから成るのだと思う。
唐突だけど、私はローソンの”バスチー”が大好きだ。ローソンのスィーツの中で一番好きだと思っている。ローソンに「バスチーを買いに行こう!」と家を出るのだが、3回に1回はバスチー以外のものを買って帰ってきてしまう。
バスチー以外のものを買った帰り道、「なぜ自分はあんなにバスチーを買おう」と思っていたのに、他の物(最近だとチョコチーズバー)を買ってしまったのだろうか?と考えこんだ時もある。
意識と無意識のことを考え始めてから、自分のこの矛盾する行動に説明がつくことが分かった。
意識はバスチーだけど、無意識の中に”新商品を試してみたい”があって、新商品が目に入ると、自動的にそっちに手が伸びてしまうのだろう。
これを読んでいる人だって、おなかがすいているときの買い物で、買おうと思っていないものを買ったことは多々あるのではないだろうか。
心は矛盾することを本人がわからないまま内包している。
そしてその無数に内包されたプロセスの中から、置かれている状況に応じて自動的に意識に上ってしまった考えを選択しているのに過ぎない。
だからダイエットしているのに、ケーキを食べたり。禁煙したいのにタバコを吸ってしまうのだ。
決して、無意識だから自分に責任がないと言っているのではない。無意識も含めてのパーソナリティだと思う。

なぜ、私はこんなことを書こうと思ったのか。
心が一貫性がないことで一貫していると知ったら、自分に対してちょっと楽にならないだろうか?
少なくても私は”バスチーを買うという意思すら全うできないのか”と自分を責めることは無くなった。
意思が弱いからという”意識”に責任を負わせても、意思が貫ける確率は低いと思う。
意思を貫くのを邪魔するプロセスが”無意識”にあると気が付けば、ダイエット中にケーキを食べてしまっても、禁煙中にタバコを吸ってしまっても、対策を立てまた目的に向かえるだろう。
自分は自分を完全にコントロールできない。と知った時から自分をコントロールし始められるという矛盾は成り立つ。
また相手から理不尽な怒りをぶつけられたときに”なぜ私にそんなことを?”と相手の意図を知ろうとするのはあまり意味がない。
怒りや暴力は、それが意識に上りやすい、その人のもつ思考パターンだ。誰かが言ったり、したりしたことで怒るのではない。
無意識にある、思考のパターンを変えることで自分の欠点を矯正できるのではないかと、現在も私は試行錯誤している。
無意識には直接アクセスできないが無意識の扉をノックできるくらいにはなった。すると欠点があらわになるパターンが無意識の奥深くに沈んで意識に上る回数が激減した。欠点が無くなった!とまでは言えないが、表面に出なくなったなぁ、と実感している。
その方法については、まとまったら書く機会もあるだろう。