院長ブログ

2014.12.21

年を越す

”~~やらないと年を越せない」の”~~”部分にたくさん言葉が入る人は

年越しのハードルが高い人だと言えないだろうか。

きっと育った環境や社会の風潮がハードルの高さを設定してくれるのだろう。

年内の仕事が終ると、大掃除をしたりおせち料理を作ったり、

大晦日の夕食は年越しそばを作ったりで、子供の頃に見た母親の年越しハードルは

ずいぶん高い設定と思っていた。母親は祖母から引き継いだハードルなのだろう。

実家に帰ってきても、孫の顔も見せないヤクザな娘を持つと

引き継ぐ相手のない母のハードルも下がるのか、

紅白歌合戦とWOWOWをザッピングしている姿を見かけ、ギョっとする。

もうおせちも1段くらいだ。次からは旅館で過ごそうなんて言ってこないかハラハラする。

当院の若手スタッフにとって、~~に”年賀状書き(印刷か)”は入らないようだ。

メールだのLINEだのを使っている世代はそうだろう。

休みの半日をつぶして年賀状を作り、自分のハードルの高さもまんざらではないな。

と、ほくそ笑みながらルーチンのプールに行くと、先週は1レーンに4人ほどだったのが、

今日は2人。下手すると私だけの時もあり、落ち着かなかった。。。

先週まで一緒に泳いでいた御仁らは 

”あなた!手伝って!”の大号令とともに招集されたのであろう。

私のハードルも彼らの前ではリンボーダンス並の高さと言える。反省ですな。

さて、この”年越しハードル”の発想は亡くなって12年になる

”ナンシー関”さんのコラムからいただいた。私のオリジナルではありません。

きっとこれは先日NHKで”ナンシー関のいた17年”というドラマをみたことが影響されたのだと思う。

年をとるとどんどん別れを経験するけれど、現在進行形でその不在を私が嘆いているのは、

文筆家(哲学系)池田晶子さんとナンシー関さんの二人である(今のところ)。

自分のドラマの批評は存命ならどう書いたであろうか?

きっとドラマそのもののオファーを断っただろう。

私は話しがラストに近づくにつれて、泣けて泣けて仕方がなかった。

こんなことを書くとなにか繊細な涙もろい人と誤解を受けそうだが、

今月、他に泣けたのは”The MANZAI 2014”の博多華丸・大吉が優勝した瞬間だから、

もう自分の涙のハードルはわかりません。