院長ブログ

2015.03.22

救急の思い出

今日は耳鼻科救急でした。開業すると休日救急が年間3回担当になるだけですが、

勤務医の頃は月数回の当直をやっていました。

大学病院みたいなところは、耳鼻科の救急だけ診ればよかったのですが、

総合病院だとそうもいかず、お腹が痛い、胸が苦しい、意識障害。。。なども

診なければならないことが当時は多かったです。

榛原総合病院で働いていた頃、秋ぐらいだったか?私は外科の当直でした。

内科の当直は循環器の先生。17時からの当直はゆっくりと始まって。。。

21時頃には私には呼吸困難の女性。内科の先生には心筋梗塞の患者さん。

私はやれ、挿管だ!内科の先生は静岡市立に搬送だ!。

その直後に別の意識障害の患者さんそして蘇生しているうちに心停止。

私がそんな間に内科の先生は心筋梗塞2人目。そんなこんなしているうちに私は呼吸停止の患者さん。

そして死亡確認、その患者さんについての警察の事情徴収。。。内科の先生を見ると3人目の心筋梗塞。。。

その日は満月だったのか?新月だったのか?定かではありませんが、”神が選んだ日”ではあったようで。

循環器内科の看護婦さんに聞いたら「0時までの勤務の私が、朝の8時の日勤さんの姿を見て泣いたよ」

と話してくれたので特別な夜だったのでしょう。

さて、警察の事情徴収が終わり時刻は朝5時。そこへ救急に鼻出血の患者さんが運ばれた。

暗い中、船を出向させ、岩に当たった拍子で船の中の金属に鼻が当たって、出血が止まらないと。

それまで一睡もせず、極度の緊張を強いられていた私は、自分の科の患者さんに安心したのか、

「今の私は、疲弊して判断力も鈍り、あなたの鼻血を止められません。

2時間寝かせてくれたら、必ず止めますから、このまま入院してください」と言った。

その患者さんは60~70代の男性でしたが「はい。わかりました。先生が起きるまで待っています」

と、そのまま素直に入院してくださいました。

もちろん、2時間後にはちゃんと止血しましたけど、今の時代なら問題発言だったかも!?

と午後から暇な、今日みたいな休日当番で思い出しました。