院長ブログ

2019.02.17

四十九

私の実家は築40年くらいで古く、ふすまの上に長押(なげし)がある。
長押とは柱と柱の間にある日本家屋特有の構造で昔は壁を強化する目的があったが、
我が家を建てた時代にはもう装飾的な意味しか無くなったものだ。

IMG_2342.jpg
(実家の長押)
かべと長押の間には隙間がある。
ハンガーを引っ掛け服を吊るすくらいの隙間に、この冬はそれ以外の用途ができた。
父親の遺影をかけるために。
背の高い弟が写真の額をその隙間に収めようとすると、何かが引っかかる。
取り出してみると父の賞与明細だったらしい。
いくつかの職を転々とした人だったが、その会社に勤めていた頃は昭和50年後半から平成の初めだろう。
会社は最後には倒産しているから、おそらくバブル景気中の明細だろう。
昭和の終わりは私は高校から大学、弟は中学から高校に上がる頃だ。
一年一年私たちにかかるお金が増える時期で、もともと共働きだったがさらに髪を振り乱しながら
母親が働いていた記憶がある。

母はこの明細を全く知らないという。

向田邦子の「ダウト」という小説を思い出した。
トランプのダウトというゲームはカードを順に出していき
相手のカードを疑ったらダウト!と声をかける。

ダウト!「お金にはきれいな人だと思っていたけどねぇ」
ダウト!「僕も、もらったことのない額の賞与を何に使ったんだろう」
ダウト!「あの頃、苦しかったのに隠していたんだね」
罰としてカードを押し付ける本人がいないのだから笑いながらダウトだ。
四十九日までは、まだあの世とこの世をさまよっているらしい。
バツが悪い顔をしている父親の顔が浮かんだ。