院長ブログ

2020.05.04

「夜と霧」を読んで (2)

 飢餓状態で強制的に働かされて理不尽な暴力を受け個人の自由だの尊厳だのが地に落ちた状態が続くと、心はどうなるのだろうか?仲間が殴られている光景や、さっきまで話していた人が窓の外に死体で転がっているのを見続けたら、心はどうなるのだろうか?答えは“なにも感じなくなる”だ。生きのびること以外はどうでもよくなり、感情を抹殺し冷淡で無関心になる。著者はこれを「感情の消滅」と書いている。最初に抹殺される感情は家族への想いで、次は嫌悪感。幸せの源である“家族に会いたい気持ち”と、不幸の根である“自分を取り巻くありとあらゆるものへの嫌悪感“。人はプラスとマイナス両極端の感情から抹殺していくのだとこの本は教えてくれた。心を動かさず一定にすることこそ、自分の心を守る盾となるのだ。
 
 4月に入って緊急事態宣言が出されると、何とか細々とやっていてくれたプールだけでなく、図書館までが閉まってしまった。私の二大趣味(二つしかないが)の二つともができなくなったのだ。無い現実を嘆いても仕方がないと自覚していたかどうかは自分でもわからないが、泳ぐことを考えなくなってしまった。最後に泳いでから1か月になる今では立派な“ハンドクラップダンス愛好家”である。また、新しい本に出会えなくなると、おのずと自分の本棚に気持ちが向かう。「夜と霧」をもう一度読んだのも必然だったのかもしれない。
著者の家族に相当したのが私にはプールであり本ならば、嫌悪に相当するものは何だろう?それは情報だった。テレビでも、ネットでもありとあらゆる情報が流れていた。自粛に入って私はコロナに関するテレビとネットからの情報を限定するようにした。本格的な自粛に入ったころ、コロナ感染の可能性のある患者さんを診察し、コロナ感染以外の患者さんを感染させないようにし、スタッフも感染させないようにする。もちろん自分も。そこに集中するために感情を刺激するようなニュースを切り捨てていった、そう集中するために思考の盾を作ったのだ。その頃の自分と“感情が消滅し内面がじわじわと死んでいく”著者の心理過程と重なってしまう。

 そもそも内面など持たないものは収容所の世界に浸っていった。(1)で書いた血色よく痩せていないユダヤ人は同じユダヤ人を虐待したり、財産を巻き上げたりする係だった。”魂を売る”という言葉があるが、もしかしたらそういう人は売るべき魂も持っていないのかもしれない。自粛生活でも同じ自粛者をその内情をよく知らないで攻撃する人もいる。私の出身、富山県の感染第一号者の家は落書きされ、父親は会社を辞める羽目になり一家で引っ越したという。自殺したユダヤ人が自己放棄なら、同じ立場の人を責めるのも自己の良心を放棄しているのではないだろうか?
 より所となる内面を持っている人はそこに逃げこんだ。心の中で家族と語ることができる。思うことは誰にも奪えないのだ。ローマの皇帝の「憩いの場所は自分の魂の中にある。平静な魂は静かで安らぐ。そしてどんな醜悪なものにも侵されない」という言葉を思い出す。皇帝もある意味囚われた職業だったから、こんな言葉を残せたのかもしれない。
 そして内面が深まってくるとちょっとした自然が強烈に感じられるようだ。ここは原文のままを読んでほしい。
「。。。ある夕べ、私たちが労働で死ぬほど疲れて、スープの椀を手に、居住棟のむき出しの土の床にへたりこんでいたときに、突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急き立てた。太陽が沈んでいく様を見逃させまいという、ただそれだけのために。
 そして私たちは、暗く燃え上がる雲に覆われた西の空を眺め、地平線いっぱいに、くろがね色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いで絶えず様々に幻想的な形を変えていく雲を眺めた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃える様な天空を写していた。
 私たちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、誰かが言った。
 『世界はどうしてこんなに美しいんだ!』」 ここまで。
 
 今日も一日終わったとホッとした病院からの帰り道、道路を渡ろうとして右の東側を見て、左に首を振った時、西の空がきれいなピンクから紫に染まっていた。この瞬間、「夜と霧」のこの描写を思いだし、泣きそうになった。自然だけではない。スターバックスのコーヒーを飲んだ後プラスチック容器に笑う富士山がペンで書かれていることに気がついた。いつもは気がつきもしないか、気づいてもプラゴミへ一直線なのに、今も取ってある。
やはり世界は美しい。

 3章の10倍、1章の5倍のページが2章では使われている。2章の最後ではこの本の核、“生きる意味について”書かれているが、それについて、私は未だ模索中であり、いつか内容が消化できたらブログに書けるかもしれない。