院長ブログ

2021.02.17

風泳花伝

水泳は同じ動作を繰り返す中で、いかにして水の抵抗を減らし、前へ進むか。というスポーツです。始めて約30年。最近は練習タイムも満足のいくものはほとんど出ません。

ある日私は“調子が悪い、もうずっと思ったように泳げない。もうこれ以上、自分は上達しないのではないか”とつぶやいてみた。
すると、どこからともなく老人が現れ私に語りかけた。
「良いときもあれば、悪いときもある。これは因果であり、良いことが続くわけでもないし、
悪いことばかりでもない。いずれ勝負に出るなら、悪いときにも練習は怠らないように。
無理をしてでもよくなるわけでもないし、そんなときは勝負に出ても負ける。
良いときを待って一気に勝ちに行くのだ。それまで“花”を秘めておくように。
そうだ、わしの言う“花”の意味について説明しよう。
”花”とは物事の新しい切り口や捉え方だ。悪いときに工夫した練習は“花”を生むだろう。
『秘すれば花』と伝えよう」
“わかりました。調子が悪いときにも、心折れず練習します。
しかし、泳いで、息が上がってくると自分がどんな泳ぎかわからなくなってきます”
「目は前に、心は後ろに置きなさい。今やっていることを常に客観視しなさい。
勝負に勝った練習でも、それにこだわってはいけない。失敗は成功のもとは正しい。
だが、成功も失敗のもとじゃ。
自分が今、どの位置にいるかを他人の目で見てみなさい。『離見の見』、これを伝えよう」
“わかりました。今度泳いでいるところを撮影してもらいます(ちょっと違うが)。
あ~しかし。若い頃は今より速くて良かったな。あの頃のように泳ぎたいな”
「かぁ~つ、喝!若いと体は動く。練習もたくさんできるだろうしタイムも上がる。
しかしそれは一時的な“花”に過ぎない。
自分の泳ぎの未熟さに気が付き、まことの“花”になるため自分を磨く心こそ、初心じゃ。
『初心忘るべからず』
今のように年を取って、体が動かない。そういう老いてこそふさわしい泳ぎもあるのではないか。
それを自覚することも老後の初心じゃ。
命に限りはあっても、水泳の技術を高めることに終わりはない。シンプルな動きを極めるのじゃ。肉体は衰えてもその先がまだある。老いてこその“花”を見つけるがよい」
見つかるでしょうか?「信じていれば、必ずやれるだろう。
『信あれば、徳あるべし』と最後に伝えよう。
待ってください。あなたのお名前は?
「わしの名は“世阿弥”じゃ。
今から600年程前に“能”を演ずる家に生まれ、子孫には芸の世界で残っていけるよう、その心得を伝えた。お前の上達しようとするのは水泳じゃが、わしの教えは万事に通じるのう。
何かあったら呼んで(読んで)くれ。では、また」