院長ブログ

2021.06.30

風味絶佳

 マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の中では、
紅茶に浸したマドレーヌを食べた瞬間、幼いころの記憶がよみがえる。
私にとってのマドレーヌは何だろう?
子供のころは、永谷園の”マツタケのお吸い物”を特別な”汁”としていただいてた。
同じ永谷園の”あさげ”や”ゆうげ”にはない
松茸の持つ高貴な雰囲気をあの風味に感じていたのだと思う。
働いて初めて本当の松茸を食べたときには
「マツタケのお吸い物ほど、松茸の風味がない」という感想を持った。
まぁ私の味覚なんてそんなものだ。
小学生の頃はサッポロポテトバーベキュー(BBQ)味に夢中になった。
肉が練りこんであるという触れ込みとバーベキュー味という未知との遭遇に心をときめかせた。
醤油でもソースでもない風味にやられたのだと思う。
現在うちの近くのコンビニではバーベキュー味は小袋で売っている。
大袋の座は後輩のポテトチップス、他社のカラムーチョに占められているので、
「おいたわしや」という思いにあふれ、小袋をまともに見ることができないでいる。
まあ、ほんのちょっと風味と思い出を刺激するだけでも
わんさかエピソードがわいてこないだろうか?

香りと味覚からなる風味は、口の中からのどを経由してに鼻に戻る経路で感じられる。
だから、風味は舌で感じる味覚が主役ではなくて嗅覚が主役になる。
「めちゃイケ」という番組に、目をつむり、
鼻にシンクロナイズドスイミングの栓をした状態で食べ、
料理を当てるという「シンクロナイズド・テイスティング」というコーナーがあったが、
面白いくらい当たらない。

「なんで、あんなの当たらないの?」と思った方は
鼻をつまんで食べてみればわかるかもしれない。
例えば鼻をつまんで飴を口に入れる。甘味やつるつるとした感覚はわかるだろう。
そうやって舌の感覚を確かめた後、鼻をつまんでいた指を放してみて欲しい。
途端に風味を感じないだろうか。そしてその飴がイチゴ味なのか、ピーチ味なのかわかるだろう。まだ研修医のころ先輩に、
「味覚がしないという患者さんが来たら、鼻に問題がないか考えるように」とレクチャーを受けた。
昨年にコロナウイルス感染による嗅覚味覚障害=風味障害がニュースになったおかげで、
この二つが関連してると話しても理解してもらえることが多くなって助かっている。

ヒトの嗅覚は動物と比べると大したことがないと思われている。
香りを感知するセンサーの数では犬はヒトの2倍、ゾウは5倍多い。
私たちの先祖が四つん這いから二足歩行になって、
鼻が地面から離れたので、ヒトの嗅覚が退化したといわれている。
しかし二足歩行で手が自由になったから、火を使って料理するようになった。
同じ肉でも、生肉と焼いたものでは香りが違う。
ヒトの鼻は嗅ぐに加えて味わうように進化したのだろう。
だから、風味とそれにまつわる情景、感情が一体化して記憶にとどまりやすい。
自分なりのマドレーヌを長雨で家にいるときなど考えてみたらどうだろう?
マドレーヌをふやかさなくてもそれは簡単で、
切なくとも幸せな気分になること請け合いだ。