院長ブログ
2022.06.26
本性の時間
「ボスとして、昨日まで弱みを見せずにふるまってきたエイモスの体はもう動かなかった。立つこともできず、壁にもたれて座り込んでいると、それに気が付いたテイジーはエイモスの背中にクッションをあてがった」
この文章を読むと、テイジーはエイモスの辛さを察し、背中にクッションを入れたら自分がどんなに楽だったかを思い、エイモスにもそうなって欲しいと行動したのだと。思わないだろうか。
ここで種明かしすると、エイモスとテイジーはチンパンジーだ。
誤解しないで欲しいが「チンパンジーにすら道徳がある!」ということを言いたいのではない。
裏話を披露するとテイジーはクッション(=おがくず)マニアで、普段は独り占めして仲間に分けてやらないそうだ。けれどエイモスが困っている時には自分がエイモスだったらどうして欲しいか。の視点で行動している。
私たちと同じ類人猿のチンパンジーにも他人気持ちを推しはかる道徳の芽があると言えないだろうか。いやチンパンジーだけではなく、動物を観察した本にはラットやゾウにも道徳と思える行動の実例が山ほど書かれている。
他の動物と人間の違いが発達した(と思われている)理性にあるのなら、他の動物に道徳行動がみられることは、道徳の起源は理性=教えられる部分ではなく、もっと本能的なところにあるということではないだろうか。ならば道徳の及ぶ範囲は裸族時代から変わらずせいぜい100人だろう。隣人愛とはその程度のものだ。
道徳を一つの例としたが、自分の行動のもとになっているのは情動でそれは無意識にあるのだと今の私は思っている。
先行する刺激に後の行動がどう影響されるか、のプライミング実験では、”権力”を意識させると性的偏見が強い男子学生はそばにいる女性をより魅力的と判断するという結果が出た。性的偏見がない男子学生とでは女性に対する判断が異なったという。
セクハラおやじのニュースで「わかってないな!」という感想を持つが、当の本人も本当に「わからない」のかもしれない。性と権力との連合を無意識に持っていることは自覚されなく、そして自動的に誘発されることにも気が付いていないのだから。下手すると女性に対する行動がその女性の魅力から発する善良な意図に動機づけられたと信じているのだから。
セクハラだけでなく、いじめ、差別も同じ構造のような気がしている。
プラトンは心を2頭立ての馬車に例えて、高貴な意思を表す馬と、下劣な欲望を表す馬をコントロールする御者を理性と言った。大先生プラトンに物申すようだが、この例えは心をあるがままにはとらえていないと思う。
意識には心の主導権はない。もし、意識が自分をコントロールして自分を思うままにできるなら、なぜこんなにも心が病む人が多いのだろう?心の主導権は無意識にある。だから本性なんて核みたいなものは存在しない。と思う。
そして無意識に近づくことができて、そこをマシにできるなら、各ハラスメントやいじめ、差別、暴力などで悲しむ人が減るのではないだろうか。
(ラファエロ作、”アテネの学堂”。中央の赤い服を着て天を指しているのがプラトンで、モデルはダビンチ)