院長ブログ
2023.03.01
読書について(下)
どうやったら子供が本を読むようになってくれるのだろう?
ゲームやSNSに夢中な中学生に「本読んだら」と声をかけても、手に取ることさえしない、と思う。どうしたら?の答えを探るには、どうやって本を読めるようになったのかにヒントがないだろうか?
小学校でどんな”読み”のレベルかを予想するには、その子の「朗読を聞いて過ごした時間」を知れば済むらしい。幼い子への朗読は”読み聞かせ”から始まる。
親あるいは祖父母の膝の間に収まり、同じ絵本を見て大好きな大人の声を聴く。だいたいの家の何気ない風景こそが”読書”の出発点になる。
子供は親や保育者がみているものに、視覚を集中させる。これは、まだ1~2歳の子に”あっ”と言いながら指をさしてみると実感できる。スタッフの子供(まだ1歳)は私がこれをやると、ぱっと目を見開いて”おぉ”と同じ方向に指をさす。
”読み聞かせ”の時にこのように視線を共有することで、言葉への興味がわいてくる。おまけに”読みきかせ”では、大好きな人の声とぬくもりに包まれている!自分が愛されていると感じずにはいられないだろう。視覚(文字や絵)、聴覚(声)、触覚(膝のぬくもり、紙の手触り)、あらゆる方向から心地よい刺激をうける。そのような安心した状態での学習は無敵だ。次から次へと単語を理解し、”将来自由に表現すること”に結びついていく。
就学時までに、言葉に恵まれている子は一番恵まれていない家庭の子と比べると15000語の使う言葉の数に差ができる。この差のまま学年が進むと国語は小学校高学年では3年分の学力差ができてしまうという。これを挽回するのは並大抵のことではない。
アメリカでは学校の先生がせっせと、小学生の読解力の統計を取っている。そのデーターを参考にする筆頭は刑務局らしい。なぜなら小学校3~4年生の読解力は将来必要になる刑務所のベッド数を教えてくれるから。
それにしてもスマホの映像と音声はとても短時間に、強い刺激を与えてくれる。大人だって夢中になるのだから、子供がそうなるのも当然だ。それに比べると紙の本からの入力は理解までゆっくりとした時間がかかるし、映像ほど刺激的ではない。けれど、年齢を経て最後に完成する私たちの理性脳の部分は、短期的な報酬ではなく、ゆっくりと続く報酬を心地よいと思うようにできている。確かに私もYoutubeで新しい猫動画を見つけたときより、ブログを1本書き上げたときの方に満足を感じる。
さて前回と今回のブログをかつてないくらい幸せな気持ちで書いた。それは私が幼いときに、きっと祖父母(両親は共働きで忙しかった)が私を膝に抱え”読み聞かせ”をしてくれただろうから。
それがなければ読書する習慣もなく、12年間続いているこのブログの存在もなかったろう。
でも、もしまだ間に合う人なら”読み聞かせ”をしてはどうだろう!たとえ感謝は50年後にされるとしても。