院長ブログ
2023.05.28
アランチャ エ リモーネ
簡単なイタリア語を覚えてイタリアに行ったことがある。
観光で歩き回って疲れ果て、ジュースでも飲んで休もうとなり、二人分のオレンジジュースとレモンジュースをイタリア語で注文した。
「アランチャ(オレンジ)エ(~と)リモーネ(レモン)、ドゥーエ(2つ)」
出てきたのはオレンジとレモンが混ざったジュース2人分だった。。。
オレンジとレモンが混ざったジュースはメニューにはなかったが、日本から来て、たどたどしいイタリア語を話す私を哀れと思い、店員さんが気を利かせて作ってくれたのだろう。
ローマの夕焼け空を見ながら、オレンジにしては酸っぱく、レモンにしては甘いジュースを飲みながら、「ウーノ(1つ)アランチャ(オレンジ)エ(~と)ウーノ(1つ)リモーネ(レモン)」と言えばよかったのか。と自問した。
言葉について考えるときに、私はよくこのエピソードを思い出す。サービス業は言葉を駆使する面を持つので言葉について考えることは悪いことではないだろう。
もう何年も前の診察中、小学生の男の子に、鼻の中を見たいのに鼻毛の周りに”鼻くそ”がついて見えなかったので、「鼻くそついているね」と言ったら「それって悪口?」と言われた。
言葉について考えるときに、私はよくこのエピソードを思い出す。サービス業は言葉を駆使する面を持つので言葉について考えることは悪いことではないだろう。
もう何年も前の診察中、小学生の男の子に、鼻の中を見たいのに鼻毛の周りに”鼻くそ”がついて見えなかったので、「鼻くそついているね」と言ったら「それって悪口?」と言われた。
私としては”鼻くそが付いているから掃除をします”くらいの宣言だったのが、その子には何%かの悪口と聞こえたのだ。
ことわざの「目くそ、鼻くそを笑う」は、汚らしい目やにが、同じ汚い鼻くそを「汚い」と笑う様から、自分の欠点に気がつけず他人の欠点を指摘する人の愚かさを意味しているので、「鼻くそ」にマイナスイメージを持っていたのだろう。
”目くそ”が付いているのは病気のようであるし、”耳くそ”は他人からは自然には見えないしで、同じ”くそ”シリーズでも、”目くそ”や”耳くそ”は”鼻くそ”より悪口比率が低い。
この3つの言葉の立ち位置は”くそ”を”毛”に変えると、さらにわかりやすくなる。目毛=まつ毛が長いはほめ言葉、耳毛が長いは特殊な事情でもない限り言葉としては使われない。
けれど鼻毛が長いと言われたら、赤面せずにはいられない。目と耳と鼻は体の部分を示すことでは同じでも、その裏に内包する意味は異なる。
今度は私が聞き手としてのエピソードを紹介しよう。
春からのコロナの追加接種にうちの病院は手を上げていなかった。予約しようと思っても、うちの病院が載っていなかったことで、ある人から「先生の病院、予防接種から外されていたよ。なんで外されたの?予約しようと思っていたのに」と言われた。
”外れる”は自分に主体があるが、”外される”は自分が受け身となる。”外される”のもつネガティブな意味からもやもやした。
「鼻くそついているね」と話すとき、”だからとるね”は隠れている。「外されていたよ」も話し手はネガティブイメージ持ってはいない(多分)。
こういうことをつらつら考えると、伝えたいことより言葉で伝わることは常に少ない、そして使った意味以外の意味も言葉は含んでいる。
聞き手としても話し手としても言葉を駆使する仕事ではあるが、どうやら”言葉を絶対”と考えない方が、後半の人生は幸せに過ごせそうだ。「アランチャ エ リモーネ」でもジュースならばいいじゃない!そう、言葉は足りないのが当然、として言葉を考えてみたい。