院長ブログ

2023.06.07

アンビリーバブル

私は英語を6年間と時々話せるようになりたいと試みた+αな時間をもってしても、ついにマスターできなかった。
皆さんはマドンナをマダンナと発音したり、相槌をハハーンとうったりするときに、たまらなく恥ずかしくならないだろうか?私はとても恥ずかしいです。この恥ずかしさは、私の奥底で芯になって、英語を話したいのに英語を話す人になるのを拒んでいる。つまり、英語を話せなかったのは、英語を話すメンタリティになれなかったのが主な原因だと今は考えている。アンビリーバブルをアンビリーバボゥと発音するには、私の何かを緩めなければならなかったのだ。
ところで、話す言語が違うと、見える世界も違うのだろうか?

古い書物には”青”という言葉がないという。ホメロス作の「オデュッセイア」はエーゲ海から地中海を漂流する話だが、その海の色は”ワイン色”と表現されている。じゃあ、ホメロスが桃色吐息の♪海の色に染まる、ギリシャのワイン♪を聞いたら一体どんな色を想像するのだろうか?(赤ワイン?ロゼ?、うちの看護婦さんは青ワインだそうです)
現在でも世界には色を表す言葉が極端に少ない、あるいはない言語もある。
”青”・”緑”・”青みどり(青と緑の中間)”のカードを分類してもらうと、”青”の言葉がある言語を話す人は”青みどり”を”青”か”緑”かどちらかに分類しようとするのに比べ、”青”の言葉がない言語を話す人は3つを別々に分類する傾向にあるという。見えないから言葉がないのではなく、同じ色が見えているがそれに名前を付けていないだけだ。(そして言葉につられない)
また、前後左右がない言語もある。
クック船長に「カンガルー」という言葉を教えたオーストラリアのアボリジニが話すグーグ・イミディル語は前後左右の代わりに東西南北を使う。
「お前の足の前にゴキブリがいる」は、例えば体が北を向いている場合は「お前の足の北にゴキブリがいる」となる。この言い方で日本人が言われたら、案外びっくりしなくてよいかもしれない。
さて、位置を東西南北で表現する場合、どんな場所でも自分がどこにいるかわかっていないと話せない。絶対音感ならぬ、絶対座標を持っているということだ。100㎞くらい車で移動しても、家の方角を苦も無く指すことができるという。カーナビのノースアップで混乱している私とはえらい違いだ。前後左右は便利な表現だが厳密さを欠いている。「前向き駐車をお願いします」も、場所により「車を東向きに止めてください」と書いてあれば停めやすいのだが。日本ではかえって混乱するだろうか?

違う言語を操れるようになるとは、違う言語がもつ見方を体の中に取り入れることなのだろう。
日本人のままで英語を話したかった私には、その考えこそが足枷(あしかせ)となって英語を習得できなかった。この歳になってやっと気が付いた事でもある。