院長ブログ

2024.04.03

身心一元論

宮城県の名産の”ホヤ”は軟体動物の貝のように見えるが、私たち人間と同じ脊索動物に所属している。およそ5億年前に後の私たちにつながる脊椎動物と別れ、今のホヤになった。
ホヤの一生を説明しよう。幼生のホヤはおたまじゃくしのような形で、海の中を泳ぎまわり居心地のよさそうな岩を見つけるとそこを終の棲家と定めくっつく。後はのんびり海水を出し入れして余生を過ごすだけだ。脊椎動物の人間としてはある意味うらやましい一生だが、幼生のホヤだけが持つ脊索、つまり簡単な脳を含む神経は成体になると吸収されて無くなるのである。自由に泳ぎ回った後は、何も選択することなく海で揺れるだけの人生ならぬ”ホヤ生”となるのである。
このホヤの一生での使い捨ての脳の役割を考えると、脳は考えるためというより動くためにあるものと言えないだろうか?
生物界には私たちのように頭(=脳)があって動く身体を持つものはもちろんいる。ホヤの成体や、単細胞生物のように、頭(=脳)は無くても身体を持つものもいる。でも頭(=脳)があって身体がないものは無い。
この事実を拡大させると、引きこもりというのは社会的問題であると同時に、生物的にも重大な問題であると言えよう。心的外傷後ストレス障害(PTSD)では、言語でのセラピーがうまくいかないことが知られている。どんなに「大丈夫」と言っても頭では納得できていないのだ。そこからの回復の一歩は身を守る動きや、逃げるための動きを身につけることで、身体を使ったセラピーが主流になっている。いじめられっ子は武術を身につけるとよいだろう。その前に「ベスト・キッド」(ラルフマッチオ版もいいよ)を鑑賞あれ。
前のブログからいろいろ書いたが、私は「心と身体は」一つだということを強調したい。「心と身体」とわけて表現するのも嫌なほどにだ。そして心より身体が先行するのではないかと思っている。身体あっての思考ということは、身に染みて感じている。月に3回ほど書くこのブログの構成は、ほとんどすべて水泳の後に完結している。いろいろ雑多な考え、”あーでもない、こーでもない”を抱えて泳げば、あら不思議、起承転結が出来ちゃってるわぁ、という具合に。机の上で考えてもこうはならない。泳がなければ、このブログも存在しない!と言い切れる!
だからプールで私を見つけて、「こんなところで休んで泳いでないで、もっとブログ書け!」ってせかすのはやめてね。


4月15・16日は臨時休診なので、次回のブログも遅れます。