院長ブログ

2024.06.12

構造改革

ギリシャ神話では神々の怒りを買った場合には罰を受ける。前回ブログのシーシュポスはそのうちのひとつである。他に有名な話と言えば、のどの渇きを癒そうと水面に口を近づけると水が引き、果物を食べようと手を伸ばすと風が実をさらっていってしまう、という永遠の”渇き”罰もある。とちらも結局失望する結果になるけれど、その瞬間に期待を抱くことはできる。
一方、親族を殺しだけでなく、全能の神ゼウスの妻を寝取ろうとしたイクシオンには車輪に蛇でくくられ、永遠に回り続ける罰が与えられる。自由に動き回ることは奪われ、天も地も無く回され、不快と不安にさいなまれることだろう。こう書くと、似たような病気が思い浮かばないだろうか?そう、この罰はまるでめまい患者さんが受けている状況に等しいと私には思えるのだ。
(イクシオンの罰を表現した絵画)

めまい患者さんは、ほぼ全員がひどい肩こりを訴える。研修医にはめまい患者さんへの問診テクニックとして「肩こりはありませんか?」と先に尋ねるようにしろ!という教えがあるほどだ。つまり、めまいには構造的な問題を内包しているということになるだろう。
頭と首をシンプルにすると頭がい骨と頸椎になる。頸椎は7つあるが、いにしえの解剖の先生も1番目と2番目が特別と思ったのだろう、1番目にはアトラス=環椎、2番目にはアキシス=軸椎という名前を付けた。ちなみにアトラスの名前の由来は、これもギリシャ神話で天空を支える巨神アトラスからである。
首が動く人形を胴体にはめる場合、軸があることを想像してもらえば軸椎の意義は容易に想像できよう、軸椎の上に環椎があることで人はうなずける。環椎・軸椎の関節があればこそ、”はい・いいえ”を身体で表現することができるのである。
頭蓋骨や脊椎のセラピストによると、この二つの頸椎は不快なことを考えるだけで歪むという。二つの頸椎にくっつく筋肉は10個あり、そのうち一つでも緊張状態になると簡単に関節がずれ、そのままの状態になる。そうなると頸椎を通る血管が歪みのせいで蛇行し、それこそバランスをとるシステム(内耳、小脳などなど)に血液に左右差が生まれてしまう。心が”いいえ”なのに”はい”と表現しなければならない状態は、その正しい構造をも狂わせてしまうのだろう。彼らセラピストはめまいの根源はこの構造にあるという。私も知ってしまったからには!と最近、患者さんの首をやたら触ってみている。「なんかわかりますか?」の声には「う~ん、まだよくわからないのよ」としか答えられないのだが。
情緒的な不安定は首の構造を歪ませ、肩こり、めまいを生じさせる。めまい、つまり平衡感覚のはく奪は深い不安感を人に与える。もう不安が先か?めまいが先か?もよくわからなくなる、この悪循環が慢性めまいの病態だ。まるで永遠に回る車輪のように。イクシオンの話を考えた人はきっとめまい持ちだったんだろうね。