院長ブログ

2024.08.07

インサイドヘッド・続き(情動の役割)

もし自分の子供が「仕事をやめて、アマゾンのジャングルへ自分探しの旅に出る」と固い決心で言ってきたなら、親として何を渡すだろう?私なら、ナイフ、浄水器、マッチ、応急処置セットなどだ。安全にジャングルで生きて、無事に自分を見つけたなら、できるだけ健康な状態で帰ってきて欲しい!からの選択である。
これと同じように、この世界に生まれ、生きて行けるように赤ちゃんにも贈り物をされている。私にはそれが”情動”のように思える。
ヒトのはるか先輩、単細胞生物のエサには近づき敵からは逃げるように設定されている単純な”反応”が”情動”の祖先だと思う。単細胞から多細胞へ、無脊椎動物から脊椎動物へ、進化に呼応するように”反応”はより洗練された”情動”になった。
「インサイドヘッド」では赤ちゃんのライリーはピーマンを見て”ムカムカ”が作動する。食べ物を食べる、毒は食べない2択の反応しかできないなら安全だけど飢餓で死ぬ可能性が高い。情動が作動すれば、一旦は避けながらも、飢餓が迫っている場面では食べるという柔軟な行動をとらせてくれるだろう。生き残る可能性は上がる。ピクサーも私と同じように考えているのか、映画の中でライリーが寝た後”ビビリ”にこういわせている。「今日も死ななかったね、文句なしの大成功だったよ」
そして赤ちゃんが生きていくのは人間社会で、一人では決して生きていけない。他人と協力しつつ自分の遺伝子を増やすルールのジャングルで生き抜くために、進化の上流にいる先輩たちから贈られたサバイバルキットが”情動”なのだ。
そう考えると、”カナシミ”の役割も見えてくる。
悲しみを胸にたたえた表情をした人を見ると本能的に助けたくならないだろうか?悲しみは手助けを必要としているサインを生み、助けてもらえる。アマゾンのジャングルではホイッスルに相当するのではないだろうか。ピィィィー!助けて!と。
そしてもう一つ。悲しみは今までの自分を否定する感情でもある。今までを考え直し、好んではいないが新しい自分を選択させ、社会へもっと適応させるよう存在する。アマゾンでも自分を見つけられず悲しいのなら、さっさと帰国すればいい。
私が甥や姪(平均年齢20歳)に望むのは、「豊かな情動をもって教育と文化を身につけ、社会に好まれる行動がとれ、そのことが質のいい生存を可能にし、人格を形作っていく」ことである。言ったことは一度もないが。
”ヨロコビ”という情動は”生命”が”うまくいっている”と自覚させる役割があると思う。”ヨロコビ”があれば、健康かつ創造的で他人と上手に交流できる。そのことが悲しみから立ち直りやすくし、問題が降りかかっても選択肢を多く見つけられるだろう。私が望む彼らの人生には”ヨロコビ”は欠かせない。

私は開業以来ずっと、「自分をコントロールする」ということを課してきた。そして昨年の編集後記に「来年は自分をコントロールすることを妨げるもの、つまり情動や感情のもつ意味から考えたいと思っています」と書いた。前回と今回のブログはそう書いた自分へ、情動に関してのアンサーでもある。もちろん現時点での理解では、という注釈がはいるが。