院長ブログ

2024.09.01

理想の休み2

いったい、どんなふうに過ごせたら理想の休みになるのだろう?
昨日は図書館で一日中本に囲まれながら本を読む姿を想像した。読書に飽きたら2回の視聴覚コーナーに行って個室でビデオ三昧!Netflixは無いけど、犬神家だって悪魔の手毬だってあるよ。
休みの想像ならずとも、宝くじ当たったら?と夢みたことは誰にだってあるのではないか?
前回のブログで、デフォルトモードネットワーク(DMN)の時は過去や未来へと心がさまようと書いた。場合によってはそのせいで、後悔したり不安を感じたりしがちだ。こういう一見マイナスな面もあるが、プラスの面を紹介しよう。
そう、ありもしないことを考えるのはとても楽しい。だって想像の舞台では主演俳優は私だもの。
”私は時間を気にせず図書館で過ごせる!””5億円当たったら、私はまず冷蔵庫を買い替えよう!”
なんか書いていて、”マッチ売りの少女”になった気がしてきた。彼女だけでなく、文学には想像力たくましい少女がよく出てくる。
赤毛のアンでも壊れた戸棚のガラスに映る自分を想像上の友人ケティ・モーリスと名付け話しかけ、山奥ではこだまのヴィオレッタと会話する。「孤児院へ行く前の晩にあたし、ヴィオレッタにさよならを言ったら、まあ、とても悲しそうな声でヴィオレッタもさよならと言ったわ」
アンは両親と死別していて、他人の家と孤児院で生きてきた。愛情に飢えた、苦しい、貧しい、人に顧みられない生活を送っていた彼女にとって、想像が現実の環境を和らげてくれていた。
つまり想像は使いようによっては、不幸に浸りきらない大切な技と言えるだろう。実際、子供時代に想像上の友人を持つことで子供の内省が深まり、自分をコントロールでき、他人と良好なコミュニケーションが取れるという。
だけどno!no!夢見る少女じゃいられない!私は大人だ。現実歪曲フィルターを剥がし、本当に休める休み、休みが終わった時にまた働こうと思える休みを考えてみた。
そして、その核になるのは”静けさ”だと思った。
人類はうるさい動物なのだろう、今から4千年前の書物にも人々が出す騒音にうんざりした神々の話が載っているという。地球に住んでいる81億人が出す騒音に負けじと、現代の救急車の音は100年前より30dBほど増えて現在123dBだそうだ、これは1日許容時間3秒の騒音で、地球は年々うるさくなっている。いや、物理的な音だけではない。実家の母親はラジオとテレビを同時につけているが、私が「どっちかにして欲しい」というと、テレビの音量をオフにするだけだ。それだと画面がちらついて全く心穏やかにならない。が、母親曰くこの習慣は”ボケ防止”だそうだ。
マウスをクラシック音楽、または環境音、あるいは無音という環境で育てると、脳の記憶をつかさどる部分が一番成長するのは無音環境のマウスという実験結果がある。つまり静かさの中で聞こうとすると脳は活性化する。静かなほうがボケ防止になるかもしれないのだ。母親には言えなかったけど。
さて、休みなのに休んでない気になっている私は聴覚にも視覚にもうるさいリビングを出て、縁側の部屋に移動する。
「帰ったら静かな部屋で本を読もう。帰りは明後日だけどどのルートで帰ろうか?天気はどうだろう?富山にいる間にお土産も買わなきゃな。やっぱり氷見うどんか。来る前にネットで頼んでおいた方がよかったかな。アレコレアレコレ~~~」心の中を想像がさまよう。一番うるさいのは私の頭の中かもしれないね。