院長ブログ

2024.09.23

静けさをもとめて

泳いでいる時は静かだ。横でシンクロの先生が指導していない限り、水中では私のフォームが作るリズミカルな水と呼吸の音だけが聞こえる。最近になってようやく気が付いた事だが、私はこの水泳の持つ”静けさ”が好きなのだと思う。もう30年以上も泳いでいるのにね。
物事を長らく続けられる理由は一つではない。恋人、夫婦、親、また夫婦と関係性が変わっても、仲の良さが続いているカップル同様に、私は自分のステージなりの楽しさを水泳に見出している。20代がタイムが上がることだったなら、今は”静けさ”を求めて泳いでいる。
子供の頃から通知表に「落ち着きがない」と書かれ続けたほど人一倍頭のなかがうるさい私だ、”静かに過ごすことを考えているというこのブログを中学の同級生が読んだら、きっとひっくり返るだろう。
前のブログでも書いたが、世界は年々うるさくなっている。だけど、注意を注がなければならないことは増えているという現実が静けさを求めさせるのかもしれない。ピコッと光るLINEの通知はブログを書いている私の注意をかすめ取る。通知は郵便局からのお届け通知だった。郵便局はLINEにこのシステムのお金を払っているはずだ。つまり私の注意は金になるということだろう。注意だって”払う”という言葉が使われる様に、”(英語ではpay attention)注意という心を集中させるエネルギーは資源なのだ。
資源ならば限度があろう。
夏の救急挟んで6連勤の週では、1日のスマホ使用時間が2時間を超えてしまった。いつもは1時間前後なのに。きっと気を紛らわせたかったのだと思う。X(旧ツイッター)の何にそんなに時間をかけていたのか覚えてさえいないことに自分の資源を使ってしまったことが今となっては悔しい。そんな後から振り返って、後悔するようなことに自分の資源を使っていいのかと最近は特に考えてしまう。
反対に、泳いでいる時は気を紛らわすことは難しい。泳ぎの目標(タイム、呼吸数など)を決めて、その通りになるようできる限り体を動かし、泳ぐことだけに集中できる。水の中ではLINEの通知も届かないしね。静かなところでは集中しやすく、集中しているとそのことだけしか考えないから否が応でも頭の中が静かになる。
ところで、集中は疲れるという先入観は無いだろうか?集中が世の中で一番得意な部類に入るチベット僧の頭は実年齢より10歳も若いという。集中は脳をDMN=心がさまようモード(参照)から今に引き戻す。今に集中できる脳はその持っている資源を有効に使える。泳ぐことは水泳の練習だけでなく、脳を有効に使う練習に他ならない。practice makes perfect!