院長ブログ
2024.10.23
マット・デイモン問題
ある日の浜松(のコストコ)からの帰り、高速道路を運転していると他愛もない話題で映画の話にもなってきた。おもむろに友人が「”グット・ウィル・ハンティング”の主役って誰だっけ?」と聞いてきた。ほら、あの人だよ!あの人。とお互い口まで出かかっているが、パッとは出てこない。眼は細めでさ~、ちょっとジミー大西系の輪郭だよね~(ファンの人ごめんなさい)、と顔は出てくる。その作品が出世作だったよね~という真っ当なネタから、チップ多く払うらしいよ~と小ネタまで出てくる。けれど肝心な名前が二人とも出そうで出ない。携帯で調べれば答えはすぐ出るが、そこはボケてきたとはまだ認めたくないお互い50代。
何とか名前を捻出しようと車内は静かになる。
「なんか、変な名前だったよな(モヤモヤ)、、、」からのアシストで、デーモン→デイモン→マット・デイモン!出たぁ~
記憶されているとは、マット・デイモンとラベルされている脳の中の引き出しに、出演作品や、顔の特徴、小ネタまでが入っていることではない。それが証拠に、引き出しの中はすらすら出て来たのに肝心のラベルを思い出すまで袋井から牧之原までかかったではないか!
マット・デイモンの記憶になるには、細めの目、輪郭、映画のシーンなど見た目、どこかで読んだ本人の特徴、名前から沸き起こる私なりの感情などパーツパーツで脳に入り、互いに布で編むかのように結合される。名前はその人を表すラベルでしかなく、”マ”とか”デ”とかの音でそもそも意味を持たないからエピソードより思い出しにくいのである。だから名前は思い出しにくい記憶の最たるものなのだ!”ほらあの人!”と苦しむ同じ50代よ!御安心めされよ!
しかし、マット・デイモンの大ファンなら、何回も目にするしその都度、感情が沸き起こるので結合された記憶は強固に貯蔵される。私だって、”トップガン”のトム・クルーズはすぐ出てくるしね。
このように記憶を強固にするのに感情が持つ役割は大きい。私が名前を思い出せたのは、”デイモン”という音が持つ”デーモン”に通ずるモヤモヤ感。つまり"日本人なら悪魔くん"か!と想起してしまう”違和感”が答えを出させてくれたのだった。感情の中でも特にネガティブな感情が布糸として絡まっているような記憶は深く刻まれやすい。そのため想起するたびに感情も一緒に思い出され合理的な決定を邪魔してしまう。今ではこれをPTSD(心的外傷後ストレス障害)という。
忘れたい記憶もあれば、覚えていたいのに忘れる記憶もある。
人の脳は記憶することも忘れることもできるが、忘れることは、ともすれば記憶という勝者に対して敗者のように思えてしまわないだろうか?人に忘れることがある以上、忘れることにも何か意味はないのだろうか?これについては考えてみたい。
さて、うんうん考えてやっと出た”マット・デイモン”という名前、この日を記念してマット・デイモンの日としよう!と二人で決めたのだった。しばらく友人は「1日1回はマットデイモンを考えることにしたよ!マット・デイモントレーニングだね」と話してくれていた。マットデイモンの日、今となってはもう二人ともいつだったか忘れているのではあるが。。。