院長ブログ

2025.04.02

道を進もう

物語のモチーフに”迷子”はよく使われる。”ヘンゼルとグレーテル”しかり、”神曲”しかり。
それは読み手に圧倒的な恐怖を感じさせるからではないだろうか。ナイフで脅された時のような与えられたのとは違い、自分の内面から沸き起こってくるような恐怖として。
「人生の道の半ばで、正しい道を踏み外した私は、はたと気が付くと、暗い森の中にいた」(ダンテ”神曲”より)
私も小学校一年生の時に迷子を体験したことがある。まだ足がつかないのに、親の自転車をこげることがうれしくて、はたと気が付くと隣の校区に入ってしまっていた。行けども行けども知らない景色で、もう家に帰ることはできないと、悲しみと恐怖に苛まれていた。50年近く前のことを今でも風景と共にくっきり思い出すことができる。
先日、鼻に硬球ボールが直撃し鼻血が止まらない野球少年が受診した。外傷の影響もあって鼻の中はいつもの景色とは変わっている。おまけにどこからかあふれる血で何がどうなっているかわからない。「あれ、私この治療で迷子になっている?」と思った瞬間、「海馬は空間の地図だけでなく、体験したことの地図を作っているのでは」と閃いた。
以前のブログで紹介したピアノの先生になった同級生は「その子らしい一音が出たときに、教えていてよかったと思う」と話してくれた。「え?”ド”は”ド”、”レ”は”レ”じゃん」と思ったが、彼女が体験して海馬が作った音の地図は、芸能人格付けチェックの弦楽器問題で間違える私の音の地図とは比べようもないほど細かいのだ。
また、うちの看護師さんの趣味は産直を巡り、新鮮な野菜を買ってくることだ。ある日、バーニャカウダを食べながら、「カリフローレは茎の色合いが美味しさを決めるね。トマトは大きいのはわかりやすいけど、プチトマトの赤色はどれが美味しいのか難しいよ」彼女の海馬は目下プチトマトの赤の地図を作成中と言ったところだろう。
迷子になりかけた私の治療も、今までに作った地図をもとに、目標地点までたどり着いた。治療が正しい道にあると自覚できた時の喜びはあの日迷子になった私が家への道を見つけたそれに似ていた。
自分が体験したことで作られた海馬の地図をもとに、目標に向かって手探りでも進み、周囲を見ながら絶えず微調整する連続が、”知的な道の進み方”と言えないだろうか。知性とは数学の点数で測れるものではなく、生きること全般の問いに答えられる能力と思うから。GPSやネット情報はA地点からB地点まで最短で到達させてくれるのかもしれないが、到達した地点より、体験した経路、過程の方が大切なのだ。到達するまでに試行錯誤した体験が海馬を強くし、おそらく自分の人生をコントロールできている感を生むのだと思う。人生で迷子にならない術ともいえる。実際、うつ病の人は海馬が委縮している傾向にある。
私の姪はこの春に高校に進学した。自由に世界を探索して、そこに偶然の発見や道を見つけた喜びを重ねて欲しい。それこそが”自分を自分たらしめる”こと、と思うから。そしてできれば将来、質の良い生存ができるような地図の土台を作って欲しい。。。
ま、でも面と向かっては言えないので、書くのであるが。