院長ブログ

2024.02.21

味にまつわる話

北陸生まれの私にとって、なじみが深い魚と言えば富山湾でとれるブリやタラだった。静岡に来てから好きになった魚に、戻りガツオとふぐがある。今はちょうどふぐの時期だ。
さて、美味しさには4つの要素があるという。お腹がすいている時は何でも美味しいが一つ目。二つ目は生まれたところの食文化に合うもの。長らくの外国旅行では和食が恋しくなることで実感できよう。三つ目は脳が病みつきになる働きがあるもの。例えばチョコレートなどの甘味。そして最後は情報。この4つの要素で”ふぐ”が勝っているのは情報だと思う。なるほど、ふぐに貼られるラベルは多い。まず偉人達も愛した美味しさ。当たると命に関わるスリリングさも食べる価値を高めている。だから小林一茶は「五十にて 河豚の味を 知る夜かな」と詠み、松尾芭蕉は「あら何ともなや きのふは過ぎて ふくの汁」と詠んだのだ。次に高級魚であること。ふぐ料理は家庭で食べるものではなく、専門店で満腹にもならず食べるもののイメージがある。だからふぐは食べる前から「美味しいと言わなきゃ、自分の味覚を疑われちゃうわ」という独特の状況に陥らせる食べ物だ。そのふぐを年配の先生と食べに行った看護師さんに「美味しかったでしょう?」と聞いたら「ガムみたいな魚だったわ。どこが美味しいの?」と答えられ、驚いたことをこの時期になると思い出す。何故美味しくなかったのか?まだ若いから味がわからないか?と20年前の当時は考えていたが、美味しさの要素を知ってからは彼女には情報がなかったのかもしれない、と思っている。
味覚は視覚や聴覚と違って曖昧だ。大体嗅覚がないと、何を食べているかもわからない。鼻をつまんで飴をなめてみると、私はそれがイチゴ味かピーチ味かわからない(過去のブログ参照)。
美味しさはもっとあいまいだ。本当に美味しいものは美味しいのか?料亭でふぐの刺身をいただくのと、ハワイアンリゾートのプールサイドで同じ刺身を食べても同じように美味しく感じる自信はない。美味しく感じるには味以上の味が必要だ。ふぐの透明さを際立たせる皿や、ひれ酒の香り、もうすぐ煮える鍋の音など五感が味以上の味を生む。ふぐ刺しがロコモコのお皿で出てきても、そこにそれは生まれないのである。
美味しさは雰囲気という衣をまとっている。家族や友人など”誰かとの記憶の食事”も美味しさを際立たせる。冬になると話題になる「ふぐを食べてみたい」と学生時代憧れていたものが、働いて初めて大阪で食べられたこと。うまみが凝縮されているという”ふぐの白子”を一口食べたなり簡単におかわり!する友人に、財布の残金を確かめながらドキドキしたこと。こういう思い出も、味の一部なのだ。
2月は病院の誕生月、13年を看護師さんと祝った。お取り寄せなので、彼女の得意技、白子のおかわり!を封印はしましたが、あの頃と同じようにふぐはやっぱり美味しくて。。。
そんな彼女は若かりし頃、年配の先生に連れて行ってもらった鮨屋でアワビを食べた。ふぐに劣らず、高級食材として情報の衣をまとっているのがアワビだ。そしてその味をきかれ「水槽の味がする」と答えたという。味の世界にも「王様は何にも着ていないよ」という人もいるってことで。